その訪のいへと年によって早い遅いでやきもきさせられる桜が、
何とか咲いてから その頃合いを過ぎるのとかぶさるように。
桜を散らしたついでのような、少し強い風が吹いたり、
そうかと思えば急にぐんぐんと陽差しが増しての、
たいそう暑い日がやって来たりと。
あっと言う間に夏へ直結かと思わせるような、
どこか激しい空模様がやって来て。
とはいえ、そうそう思うようにいかないよとの、
やっぱり我儘な、それもしっぺ返しの内なのか、
今度は、梅雨の長雨を思わせるような、
じっとり蒸し暑い、雨続きの気候が訪れる。
「これって梅雨じゃないんですか?」
結構な勢いの好天が続いたので、
だったらと書物の虫干しを構えていたらしい書生くん。
ところが、ほんの一夜明けただけの今日はまた、
朝から打って変わっての激しい雨になり。
それへ出端を挫かれたとあって、
まだまだお子様の気色も強い眉を寄せ、
むむうと膨れつつも頼もしいお師匠様へと訊いたれば、
「ああ。梅雨前の、思わせ振りな長雨だ。」
走り梅雨とか、あと…そうそう卯の花くたしとも言うてなと。
そうと言って ついと手を延べた蛭魔が、
荒れた庭の奥のほう、小さな池の側を、
淡い紫の小袖の先から覗かせた、細い指先で差し示す。
「あの木に白いのが咲き始めておろうよ。」
「あ…ほんとですね。」
ちょうどあれが咲く頃合いに、花には無情な降り方をしやるので、
卯の花を腐らせるという意味で、
卯の花くたしとも呼ばれておるのだよと。
あまりに基本、一般教養級のことだったので、
あっさりと話してくれたお師匠様であり。
「うや? くしゃるの?」
そちらも丁度広間へ居合わせた、
小さな小さな仔ギツネ坊や。
おやつにと庫裏からもらって来た 小アジの干したのを、
煎餅のようにあぎあぎと鋭い歯で齧っていた手を止めて。
そんなにも強い、いけない雨なんでしゅか?という響きで、
子供らしい義憤を込めたお声を上げたので、
“おやおや、一端(いっぱし)な。”
可哀想ね…ではなくの、
叱ってやらねばという響きが可愛らしくって。
とはいえ、だったら庇ってやるかねと、
冗談にでも言やあそのまま実行しかねぬほどに、
まだまだあちこち きっとお子様だろうから。
「ん〜、まあそういう試練にも、
時には耐えねばならんのだろうさ。」
「しゅれん?」
修行やお勉強の中の“我慢”のことだよ、と、
こちらも小さな兄弟子さんが判りやすく言い足して。
そかと納得がいった様子になった くうちゃんだったのは、
『せいぜい、おやつを我慢したこと辺りを思い出したのだろうな。』
『そうでしょうか。
くうちゃんて結構 大変な目にも遭って来てますよ?』
それでもだ、蛭魔が自分のお説を曲げなんだのは、
大人げない意固地さを見せてのことじゃあなくて。(…おい)
『大変な目に遭ったかどうかってのは、
所詮、他人にはよくは判らんもんだからな。』
大変かどうかは、本人がそれをどういう物差しで計っているかで決まること。
そんな程度かと驚くような些少なことでも、
寝込むほどの重い事態な場合だってあるのだし、
重いこた重かったが、もう克服してるってこともあるかんなと、
わざわざ説くのも妙なもんだと、
素っ気なさを装いつつも、
その陰にて…蛭魔が苦笑を禁じ得なかったのも無理はなく。
“こやつ自身、相当な目に遭ってんだろうによ。”
今でこそ誰かの心配にやきもきしている瀬那こそ、
ほんのちょっと前、
何年もと経ってはないほどの近年までの しかも延々と。
憑神の進の不安定な所業に、正体さえ判らぬまま翻弄され、
周囲からも そねまれ続けていたくせに。
今や、そりゃあお元気に笑っているし、
進との接しようも身について、
それが結構な自信にもなっているものか。
引き会わされた当初は怖がっていた筈な蛭魔へさえ、
お説教まがいのこと、つけつけと言うのも珍しくはないくらい。
「…止まないですねぇ。」
「そうさな。」
干し魚で汚したお手々を拭ってもらった仔ギツネさんが、
おやかま様〜っとお膝を上がって来るのを、
よ〜しよしと抱えてやって。
お顔の前へぴょこりと立った、
金の毛並みを乗っけたお耳越しにお庭を見やる術師殿。
今は少しほど雨脚も静まって。
さあさあさあ、と
耳鳴りのような、囁きのような
そんな響きがするばかり。
「早く上がってほしいですよね。」
「まぁな。」
雨が続くと、あいつも忙しいらしくての、と。
雨音の静かさに宥められ、気が緩んでいたものか。
はぁあと吐息をついて口にしたお師匠様へ、
「……そ、そうなんですか?」
ありゃまあ、これは意外な一言をと赤面しかかった書生くん。
そういや今日はまだ、黒の侍従様は顔を見せていない。
冬場の眠りから覚めたばかりの同胞の皆様が、
うっかりと地盤の緩いところに嵌まっていないか、
まだ這い出してなかった口の顔触れが、
溺れてしまってはないだろかと。
そういうあちこち見回りに出ておいでだとのことで。
「あぎょんも いしょがしーって ゆってた。」
「お……?」
凄いぞ、人外の皆様の勤勉さ。(おいおい)
「自然現象が相手ってのは、
あいつらでも そうそう歯が立たねぇ、
そんな手ごわさだってことなんだろさ。」
冬場の凍るような雨じゃない
土の匂いも濃い、
若葉のそれだろ草の青い匂いもする、
そんな温気の満ちた雨だから。
気の逸りを押さえなさいと、
夏の前には長雨がくるよと、
姿なき誰か様が、
告げる代わりに寄越したものかも。
いい子でいるから早く上がってと、
灰色の空を見上げる和子らへ、
そのまま いい子でいなさいねと、
淡々と囁き続けるこぬか雨。
さあさあさあと、降り続けるばかり……。
〜Fine〜 11.05.10.
*いやホントに、急な雨で困っておりますよ。
部屋干しする“場所”には困ってませんが、
赤ちゃんの服やらバスタオルやらは、
やっぱりカラッと乾かしたいし。
乾燥機は生地が縮むんじゃないかと思うと、
デリケートなものへはそうそう使えないし。
でもでも、いつまで降るかは、
くうちゃんのお父様に訊いても判んないんでしょうね。
めーるふぉーむvv 

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